今日はすごい雨が降った

新しい職場にきてから1か月が過ぎた。

仕事にも慣れてきた。

みんな優しく、ぐずでのろまな自分にも親切に接してくれる。

とてもありがたいが申し訳ない気持ちにもなる。

自分がいることにより居心地の悪さを感じさせてしまっているなら申し訳ないし気を遣わせてしまって申し訳ないと思う。

 

ストラテラは飲んだり飲まなかったりで効果も出ているのかよくわからない。

以前のようなデスクワークでないからというのもあるけど。

 

 

 

 

菜食主義者の血

ベジタリアン4年目に突入。

ヴィーガンになりたいけど乳製品の誘惑に負け続けている現状。

栄養不足のためか、最近採血したときに血が全然出ず、しまいには目眩がして倒れかけた。

とりあえず動物性のものを排除していただけだったが、そろそろ身体も限界に近づいてきたみたい。

 

菜食主義をやっているのは一言ではなかなか説明できないが、きっかけは夢で家畜と楽しくダンスしたことだった。

子供のころから動物が好きで菜食主義者に憧れて何度も挑戦していたがなかなか長くは続かなかった。でも4年前のひどい人間不信のときにみたこの夢があまりにも美しく、自分に強い信念を与えてくれここまで続けてこれた。

肉や魚は美味しいのを知っているから最初は大変だった。

 

それと実はカニバリズムへの憧れもこの菜食主義に関係しているように思う。

人間の肉を食いたいという欲望はこれも子供のころからあった。流れる血を美しいと感じて腕を切っては血を舐めた。鉄の味。

 

大人になって恋人ができたら血や肉を少しもらって食べたいと思っていたが、25歳童貞の現状からついにその望みが果たされることは生涯ないように思われる。

そのためやはり自分の血を舐めるしかないのだけど、菜食になってから血の匂いも味もほとんどしなくなってしまった。もはや生臭さもなく、味気もないので最近は飽きてやらなくなった。これが菜食の唯一の欠点かもしれない。

 

それに肉を食べるために人間を殺すのは罪にあたるのに、肉を食べるために動物を殺すのは赦されているというのがイマイチ理解できない。

 

もっと言ってしまえば、人間たちは自分が神か何かになったとでも思って都合良く生きてるがそれは間違いで動物を殺して食うことに楽しみを見出すほどの価値はないのだと思う。 

 

 

結局何が言いたいかというと菜食主義者の血はまずいということ。

あと数日

今の職場の出勤が残り数回になった。

有給は2日しか消化させてもらえなかったが、もともとシフトの関係で後半休みが多くてよかった。

やめると言ってから毎日がつらい。

うっかり上司に職場いじめの件をもらしたことで大変なパワ 〜ハラ 騒動になってしまったのだった。

 今まで嫌味以外で話しかけてこなかったのにあからさまにニコニコしてくる人や、もはや完全に無視を決め込む人など本当に素晴らしい職場で大変愉快。

騒動を巻き起こした上司は余計状況がひどくなったのを気づかないのか気づかないフリか…

ある人にはこんなに優しい職場はないと怒られたりもした。

たしかに、出来の悪い自分に何度も教えてくれたり、指示を出してくれたりしたことはありがたいと思うけど、中学生のやるようなえんがちょみたいなことをターゲットを次々と変えてやるのはおかしいと思う。

自分の前にやめた新人も、同じ手法で追い詰められてやめたんじゃないのか?と思う。(その新人がやめる直前トイレで泣いてるのを目撃してしまった)

 

共通の敵を作って団結したつもりになって陰口叩いて馬鹿にして楽しんで、そんなことで満足なのだろうか。

まあ一生やってろって感じだけど、メンタル弱すぎて耐えられなかった自分が一番うける。

あっという間の出来事

辞めたい辞めたいといいつつズルズル仕事を続けてきたけど、なんかどんどん頭おかしくなるし、身体の調子も悪くなる一方。

低賃金で契約社員たちのおもちゃとして馬鹿にされ続けているわけにもいかないと、意を決して興味のあった死化粧師の面接を受けたらその場で採用された。

厳しい仕事だと分かってるけど今までで1番ワクワクしている。

 

去年の10月に書きかけた文

みかんは指で簡単に皮がむける。甘いのに爽やかなにおいがしてとっても美味しい。白く薄い膜に覆われた艶やかな実は一粒一粒がはち切れそうなほどミチっとしていて、それを奥歯ですりつぶすことを考えると少し楽しい。
 人間の身体もこのように簡単に拓けたならばよかったのに、と思う。でも動物として動き回るのにそれは不自由で良くないのだろうなあ・・・。ぐずぐずになってしまう。

 今回、文章を書いてみることにした。いつも考えていることをまとめてみたいと考えたからだ。そのテーマは”暴力”。自分でも十分に解っていることと思うが、自分の暴力観は他者と比べてわずかばかり逸脱している。

 そもそも、暴力とは?
 暴力とは故意に振るわれる力のことだろう。

 大辞泉によると次のように示されている。

ぼう‐りょく【暴力】
乱暴な力・行為。不当に使う腕力。
2 合法性や正当性を欠いた物理的な強制力。

 いかにも野蛮な感じだ。そしてなんとも罪深い行いのよう。
 しかし果たしてそうなのだろうか。

 現在、自分が暴力をぶつける対象は自分自身のみだ。しかしいつかは誰か別の人間を痛めつけることができたらと思う。機会があればそうするだろうか?いやきっとできないだろう。ずっとこの鬱屈した欲望を頭の中に隠して生きていくのだろう。